幕末・明治の写真と絵葉書 イマジンネット画廊ブログ

古写真と絵葉書を通して、古き良き日本の生活を紹介していきます。

新富座、演目『黒白論織分博多』

明治新富座

"今月の一枚は、明治9年に火災で焼失し明治11年新設された京橋は新富座の写真である。洋風のガス灯を配備するなど西洋劇場の文化を取り入れる試みがなされているのが特徴で、横一列にずらりと並ぶ絵看板が壮観だ。...

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特集:横浜の劇場

明治横浜の劇場
イマジンネット画廊にて、明治横浜の外国人居留地にあった劇場について特集しています。
ゲーテ座外観や外国人劇団員たちの写真・イラストなどをお楽しみ下さい。

[ 特集:横浜の劇場 ]
横浜の劇場

歌舞伎、安珍清姫の一場

歌舞伎、安珍清姫の一場

"美貌の僧・安珍に懸想し裏切られた清姫が、怒りのあまり火を吹く蛇の姿になって追いかけ、
やがて紀州(現和歌山県)道成寺の鐘の中に逃げ込んだところを焼き殺し自らも入水するという伝説は能・浄瑠璃・歌舞伎など様々に演じられてきた。
今月の一枚は安珍・清姫の一場と思われる歌舞伎舞台の様子である。"
(今月の一枚)

横浜居留民によるショー

外国人芸人明治の横浜居留民劇団

(写真の詳細)

"横浜居留地の劇場風景、今月は居留外国人によるショーの写真を掲載。
三枚の写真は先月取り上げたゲーテ座の写真として入手したものだが、芝生が写っていることから、ゲーテ座ではなく山手178番にあったフェリス女学校内のヴァン・スコイック・ホールの可能性もある。 居留民の娯楽のためアマチュア劇団によるショーなどが行われた。"
(今月の一枚より)

横浜の劇場 2

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先月に引き続き横浜居留地の劇場風景、今月はゲーテ座(Gaiety Theater)の写真を掲載。
本町通り68番地に建てられたこのゲーテ座は1870年(明治3年)12月6日オランダ人ヘフトによって開設された。容易に居留地外を出歩けなかった居留民のための娯楽の場として劇や音楽会が催された。初演は「アラディン」だったという。後に居留民の集会や教会行事のためのパブリック・ホールとして運営されることとなる。
また山手にも1885年(明治18年)フランス人建築家サルダ設計で、居留外国人のためのより広い「パブリック・ホール」が開場(後に「ゲーテ座」と改名)。外国人が主体の劇場ではあったが、西洋文化の発信地として芥川龍之介や坪内逍遥、小山内薫、谷崎潤一郎、滝廉太郎などの著名な日本人が通いつめた。現在の岩崎博物館が山手ゲーテ座跡地の一部に当たる。

(今月の一枚)

明治 外国人居留地 横浜の劇場 1

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外国人居留地には異人たちが故国と変わらない生活を持ち込んだので直輸入の西洋文化を見れるとなって、多くの著名な日本人が訪れている。特に横浜居留地は貿易港として成功をおさめることになるが、産業・商業行為だけに止まらず宗教やジャーナリズム、演劇やスポーツを始めとする活動が盛んに行われ、日本人の生活に多大な影響を与える多種多様なものの発祥地ともなる。 今月の一枚はそんな横浜居留地の劇場風景である。資料によれば、栄えある第一号は元治元年(1864年)に同地102番地に開かれたアンフィシアター、続いて出来たのが135番地に開かれた会芳楼で、三番目に出来たのが山手の居住地区で開かれたゲーテ座になり、明治3年(1872年)にこけら落しをしている。展示した新聞のイラストは文久3年(1863年)9月に発行されたイラストレイテッド ロンドンニュースのひとこまであるが、横浜湾の洋上公演とあるので、当時の居留地における生活ぶりを伺い知る記事として掲載した。 また、もう一枚はF.ベアトによる居留地のアマチュア劇団の写真で慶応元年~2年(1866年~67年)頃の撮影と思われるが、まだ専属の手彩師によるカラーリングでない。 次月は上記ゲーテ座の写真を展示予定。

(今月の一枚)