幕末・明治の写真と絵葉書 イマジンネット画廊ブログ

古写真と絵葉書を通して、古き良き日本の生活を紹介していきます。

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特集:万延元年遣米使節団紀行

本日は当ブログの親サイトでの特集記事のご案内です。

江戸幕府が日米修好通商条約の批准書交換のため1860年に派遣した遣米使節団。
当時の米国新聞記事イラストや写真など51枚を、
彼らの通った場所・時間順にご紹介しています。

当時の米国人が見る侍がいかに珍しかったか、熱気が伝わってくるかと思います。
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万延元年遣米使節団紀行

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芝離宮にてウィリアム・タフトとアリス・ルーズベルト

日露戦争の只中であった明治38年(1905年)5月28日、日本海(対馬沖海戦)にて日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を破りました。
これに後押しされる形で高平小五郎 駐米公使はアメリカ合衆国大統領 セオドア・ルーズベルトに面会し、日露両国間の講和を斡旋するよう求めます。

余力を残し更なる軍備増強を図るロシアに対し、日本の軍事力と財政力は限界に達していました。
そのことを十分に認識していなかった日本国民は7月8日講和会議に向かう主席特命全権大使 小村壽太郎を、戦勝気分や賠償金の期待に浮かれ大歓声で見送りました。
果たしてポーツマス講和条約締結9月5日、賠償金を放棄した小村外交を弾劾する民衆が暴動を起こし、日比谷焼き討ち事件が起こることになります。
群集の怒りは講和を斡旋したアメリカにも向くことになるのですが…。

今日ご紹介するのは、条約締結前、フィリピン訪問の途中訪日し、桂・タフト協定を結んだ陸軍長官ウィリアム・タフト率いるフィリピン訪問団一行及び日本接待員の写真です。

ウィリアム・タフトとアリス・ルーズベルト

"芝離宮における佳賓及び接待員"
(後列左より)大尉ケルレー氏 松平式部官 大尉トムソン氏 長崎省吾宮中顧問官 陸軍卿タフト氏 寺島伯 少将ブリッス氏 大差エドワーズ氏 中佐イリー氏
(前列左より)マックミラン嬢 長崎宮中顧問官婦人 アリス・ロングワース・ルーズベルト嬢 寺島伯爵夫人 ボールトマン嬢

7月25日新橋駅に到着した一行は小村外相を送り出した時と同じく熱狂した民衆に大歓迎を受け、アリスは米大使館に、タフト以下訪問団は芝離宮に宿泊しています。
天皇に謁見した後、タフトは内閣総理大臣兼外務大臣であった桂太郎と桂・タフト協定を結びました。

ウィリアム・タフトとアリス・ルーズベルト拡大

下段左、堂々としたタフト氏の前に座っている白人女性が合衆国大統領ルーズベルトの娘のアリスです。
彼女が愛したことから、淡い灰色が買った水色がアリスブルーと命名されました。
美しく聡明でファッショナブルな彼女はアメリカ国民に非常に愛されたそうです。
下段右、寺島伯爵夫人の華族らしい冷たそうな美貌も印象的です。


7月末に米使節団を歓迎した日本国民も9月はじめにはアメリカ大使館を襲撃することになり、そう思うと戦時中の微妙な国々の関係を感じる一枚ですね。









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