幕末・明治の写真と絵葉書 イマジンネット画廊ブログ

古写真と絵葉書を通して、古き良き日本の生活を紹介していきます。

大日本帝国海軍占領時代のサイパンの絵葉書

大日本帝国海軍占領時代のサイパンの絵葉書

”今月の一枚は大日本帝国海軍占領時代のサイパンの絵葉書である。
看板に大日本帝国マリアナ群島占領地軍政庁の手書き文字が読み取れる。第一次世界大戦での占領後それほど経っていない、大正初期当初の様子が切り取られたものと思われる。武装した兵士と備えられた機関銃が見える。 "

(今月の一枚より)

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日本によって加刷されたドイツ発行マーシャル諸島の切手

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"ドイツ植民地では植民地専用の切手が発行されていた。今月の一枚はドイツが占有していた南洋マリアナ諸島、マーシャル諸島、カロリン諸島のうちマーシャル諸島のカイザーヨット統一図案切手9枚である。各々に田村、小林、加納の印鑑が押印されている。戦時下では占有した地域で使われていた切手に自軍の印を重ねて刷りそのまま使用することがあり、これも1914年日本占領時に加刷されたと思われる貴重な物である。鮮明な印章が写真2、写真3は第一次世界大戦時の加藤友三郎司令官率いる日本海軍マーシャル諸島占領の記事である。
1997年、米国の郵趣展示会においてH.Kaiser氏により"Marshall Islands Japanese Occupation 1914 ( New Light on the "Chops" from Old Documents) が発表され、同様の切手と共に出品されて同氏が金賞の栄誉を賜ったと伝えられる(写真4~7がそのコピー)。更なる発見や研究が待たれる。(TK) "
(今月の一枚)より

ドイツ領時代のサイパンの絵葉書

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(日本軍によって略奪され、使用されたもの)

"第二南遣支隊所属の鹿児島丸はパラオ地区担当の第六特別陸戦隊を乗せ、1914年10月末に佐世保を出航、11月6日朝コロールに主隊を揚陸、11月17日アンガウルに分隊を揚陸、11月19日にはヤップに揚陸させた。11月21日鹿児島丸は長崎に向け帰国の途についた。鹿児島丸のこの航海には、なぜか艦船郵便所は設置されなかった。この航海前の10月1日に、鹿児島丸に第一艦船郵便所が設置されたが、それは山東半島向け航海であったと思われる。
鹿児島丸の一回目南洋群島への航海が終了後、1914年12月10日、2回目の南洋群島への航海であった鹿児島丸に第二艦船郵便所が設置され、佐世保を出航した。

表面の絵葉書は独逸製のものであり、ドイツ占領時、ドイツ人によって持ち込まれ、通有していたものである。きっとそれは日本軍により接収か略奪されたものであろう。日付印のA欄は<第二艦船>、4年4月16日の消印である。C欄は<郵便所>となっている。<第二艦船>とは、この鹿児島丸のことである。鹿児島丸は前述の通り1914年(3年)12月10日、佐世保を出航。その後12月17日パラオに入港、4年の元旦をトラック島で迎えた。記録によると、この鹿児島丸は4年5月6日にまだサイパン島に停泊していたから、前記のレポート中の記述にある日本軍占領時に拘束されたドイツ人の郵便吏、 J.Krumlingが述べた「1915年(4年)6月9日鹿児島丸で横浜に向かった」というのは、彼がこの船に乗っていたことになる。(TK)"

(イマジンネット画廊 今月の一枚)より

浅田信興近衛師団長、銀座三越呉服店前

戦時の三越
(写真の詳細)

本日ご紹介する絵葉書は日露戦争、浅田師団長率いる近衛師団の凱旋の模様です。
通り沿いに観衆の差す傘が連なる様が面白い一枚です。

ポーツマス講和会議/米国の花電車

ポーツマス講和会議・米国の花電車

”1905年8月8日。日露戦争の講和会議が米国の仲介により開かれることになり、米国のポーツマス市が選ばれた。
両国の全権大使が同市に到着すると、パレードが行われ市民による歓迎が絶頂に達して、祝砲が鳴った。
今回の写真はその時の様子が伺えるポーツマス市の花電車である。講和会議は1ヵ月の交渉を経て、調印がなされたが、国民が求めた賠償金は得られなかった。
戦争による大増税・不況風が社会全体を覆う中、講和条件に対して不満を持つ市民が日比谷公園に集まると、市民は暴動化して焼き討ち事件に発展する。”(今月の一枚)