幕末・明治の写真と絵葉書 イマジンネット画廊ブログ

古写真と絵葉書を通して、古き良き日本の生活を紹介していきます。

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大正 傘屋

01-8002-115傘屋
(写真の詳細)
今年も梅雨の季節がやってきました。今年も傘屋の写真をご紹介します。
日用品ですが、日本の伝統工芸の技術が詰まった和傘。
唐傘と書きますが、からくりの様に複雑な開閉の動作から、”からかさ”と呼ばれていたという説もあるそうです。

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ドイツ領時代のサイパンの絵葉書

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(日本軍によって略奪され、使用されたもの)

"第二南遣支隊所属の鹿児島丸はパラオ地区担当の第六特別陸戦隊を乗せ、1914年10月末に佐世保を出航、11月6日朝コロールに主隊を揚陸、11月17日アンガウルに分隊を揚陸、11月19日にはヤップに揚陸させた。11月21日鹿児島丸は長崎に向け帰国の途についた。鹿児島丸のこの航海には、なぜか艦船郵便所は設置されなかった。この航海前の10月1日に、鹿児島丸に第一艦船郵便所が設置されたが、それは山東半島向け航海であったと思われる。
鹿児島丸の一回目南洋群島への航海が終了後、1914年12月10日、2回目の南洋群島への航海であった鹿児島丸に第二艦船郵便所が設置され、佐世保を出航した。

表面の絵葉書は独逸製のものであり、ドイツ占領時、ドイツ人によって持ち込まれ、通有していたものである。きっとそれは日本軍により接収か略奪されたものであろう。日付印のA欄は<第二艦船>、4年4月16日の消印である。C欄は<郵便所>となっている。<第二艦船>とは、この鹿児島丸のことである。鹿児島丸は前述の通り1914年(3年)12月10日、佐世保を出航。その後12月17日パラオに入港、4年の元旦をトラック島で迎えた。記録によると、この鹿児島丸は4年5月6日にまだサイパン島に停泊していたから、前記のレポート中の記述にある日本軍占領時に拘束されたドイツ人の郵便吏、 J.Krumlingが述べた「1915年(4年)6月9日鹿児島丸で横浜に向かった」というのは、彼がこの船に乗っていたことになる。(TK)"

(イマジンネット画廊 今月の一枚)より

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