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幕末・明治の写真と絵葉書 イマジンネット画廊ブログ

古写真と絵葉書を通して、古き良き日本の生活を紹介していきます。

江戸・東京にあった遊郭2 根津遊郭/洲崎遊郭

八幡楼
(写真の詳細)

”9月の今月の一枚は前月に続いて遊郭の話である。
江戸のはじめ、根津は近辺の中仙道筋の湯島・本郷がいち早く町場化したとあるが、地域一帯は大部分が農村であった。
湯島は麹の産地として著名、味噌問屋が多く、本郷は肴屋と竹・丸太屋が多くあったとある。
明暦の大火は1657年(明暦3)にこの地の寺から出火して江戸の町を焼き尽くした。
折りしも、江戸の都市構造の変化が求められていた時代であった。
大火後、幕府は防火対策として江戸城近辺にあった大名屋敷・旗本屋敷や寺社を周辺地域の標高20~30mの平坦な台地上に移転させた。
根津はその一環として、1706年(宝永3)根津権現社が千駄木から移ってきて町立てされた地区であったが、以来根津権現社の門前町として賑わい、煮売り料理茶屋が置かれて、1708年(宝永5)には既に伊勢屋・大黒屋など多数の遊女屋があったとある。

根津遊郭(遊女屋)が吉原と比べて影が薄いのはその規模もさることながら、江戸・明治と取り払い令の施行と許可を繰り返していたことに起因する。
1877年(明治10)東京大学が本郷富士見町の旧前田藩屋敷跡地に開設した。
同大学の学生が遊女屋に流れるのは自然の成り行きであったが、根津の遊女と学生との色恋が文豪の小説に登場し、物書きの餌食となって世を騒がせることとなった。
かくして、明治21年根津遊郭は教育の場に悪影響を及ぼすと言う理由で深川洲崎に移転させられた。
東京大学の学生と根津遊郭の遊女との関わりで特筆されるのは、シェクスピアの翻訳で有名な文学者坪内逍遥が東京大学の学生時代に数年間八幡楼に通いつめて遊女“花紫”との恋を実らせる話であるが、二人は明治19年に正式に結婚している。
上の写真がちょうどその頃に八幡楼の庭先で撮られたものであるが、その中に“花紫”がいないかと追ってしまうのは凡人たる所以であろう。

浮世絵

下の写真1は根津権現社(明治初期~中期)である。
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写真1

写真2、3、4、5、6が移転先の洲崎遊郭の画像である。
同遊郭もまた明治後期に大火に見舞われてしまうが、写真5と6に焼失した洲崎遊郭の姿が映し出されている。その中に新八幡楼の建物と焼け跡の中に立つ大門の柱が見てとれる。(T)"

洲崎遊郭
写真2 (写真の詳細)

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写真3

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写真4

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写真5

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写真6

(今月の一枚)より




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