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幕末・明治の写真と絵葉書 イマジンネット画廊ブログ

古写真と絵葉書を通して、古き良き日本の生活を紹介していきます。

東京の上水道

歌川広重浮世絵

"当時世界でも最大規模の人口を擁する都市であった江戸では、当然水の確保は重要な課題であり、1600年前後から上水道の建設が始まっていた。結果江戸には6つの上水道が存在し、中でも江戸の二大水道といえば神田上水・玉川上水を指す。

神田上水は井之頭池を水源とし、関口大洗堰を取水口とした。余水を当時の江戸川(現神田川)に流しており、上は江戸川橋の写真である。下の写真は御茶ノ水橋で、真中に見えるのは上水の管理棟。橋の上に上水が走っている。御茶ノ水橋と同じく神田川に架かる水道橋は、神田上水の懸樋(かけひ。水を引くために地上架けた竹や木のとい)が上流にあったことからその名がついたと言われている。

下の浮世絵(パブリックドメイン美術館より)は「関口上水端芭蕉庵椿山」である。歌川広重作であり19世紀前半に描かれた。芭蕉庵は神田上水改修工事の際、1677年から1680年まで松尾芭蕉が住んだと言われている。江戸の上水道は水の落差を利用して給水する「自然流下方式」を採用しており、主な設備は木や土、石で作られた。

19世紀、パリ・イギリス等のヨーロッパでは近代化が進み、蒸気機関による揚水や浄水装置、鉄パイプ製水道管などか開発され、日本にも1890年頃になって横浜の外国人居留地を筆頭に水道の近代化が進められた。一方旧来の水道設備が発達していた東京では明治維新後水質の悪化が問題になっており、1898年(明治31年)淀橋浄水場の完成をもって、やっと水道設備の近代化が成された。"
(今月の一枚)より

御茶ノ水橋

江戸川橋
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